集団就職世代の想い出といま

北東北の奥深い山の集落から15歳の誕生日を迎えたばかりの少年が大都会の町工場に就職した。それから60年ほどが過ぎたいま、さまざまな想い出とこれからを綴る。

河津桜開花しました

 見知らぬ人でも、最近のあいさつは「いつもより寒いですね」。つづいて「そう感じるのは、歳のせいでしょうか」との言葉である。あいさつを交わす双方がそれなりの年代に達してきている現実でもある。

 だが、30日の首都圏は記録的な陽気だったらしい。あちらこちらで20度超の温度を記録したという。そのせいでしょうか、いつも手入れしている公園の河津桜が開花していた(1月31日確認)。おそらく29日午後にも開花したのではないだろうか?

 一転して31日は冷え込んでしまったが、陽当たりのよい位置にある河津桜はどんどんつぼみを広げてくれそうだ。

 暖かい春が待ち遠しい。

市民と野党の共闘実現に向けて

 きょうは、誘いを受けて「市民と野党の共闘」実現を目指すシンポジュウムに参加した。小さい会場だからこその熱気が伝わる進行だった。

 メーンは、山口二郎法政大学教授の「政治危機と私たちの選択、憲法と民主主義を守る大結集を」の講演。氏の講演は様々な問題をとらえて参加者の関心を集めていたと感じる。同時にその内容は「市民と野党の共闘」を促すものでもあり、熱気が高まった。

 その後、民進党共産党自由党、市民ネット、新社会党緑の党の代表が連帯あいさつ(社民党はメッセージ)し、連帯の輪が広がる確かさを感じる内容だった。

 この熱気を背景に、「市民と野党の共闘」で安倍内閣を退陣に!安保法制廃止・立憲主義回復、個人の尊厳の尊重される社会をご一緒に実現しましょう~という趣旨で「市民連合」を発足することになった。

 いま、安倍政権が勝手なふるまいを続ける中、アメリカではトランプ大統領が出現した。そうしたなかで、「市民と野党の共闘」を後押しする熱気ある会合に参加できたことを「記憶」にとどめるだけでなく「記録」もしておきたい気分であった。

ワイルドシルクの情報交換会

 野蚕=ワイルドシルクの情報交換会に参加しました。

 参加者は、学者・研究者、ワイルドシルク製品の生産者、製品の企画開発販売者、販売者など。なかには食品分野の研究者の方も見えました。

 ところで「野蚕=ワイルドシルク」って、なんじゃという方も多いことでしょう。

 自然の森や林の中で繭を見つけたことはありませんか。その繭は、一般に知られるカイコが作ったのではなく、カイコの仲間ではあるが自然の中に生育しているカイコ(蛾の仲間)が作ったものです。よく知られるカイコは家蚕(かさん)と言われるために自然に生育して繭を作るカイコは野蚕(やさん)と呼ばれます。

 わが国では、天蚕(テンサン、ヤママユともいう)が代表的です。ほかにウスタビガの繭も知られますが、こちらは生糸にすることが難しく活用されていません。さらに中国の柞蚕(サクサン)、インドのムガサン、タサールサンや東南アジア全域に見られるエリサンなどが活用度の高いワイルドシルクとして知られます。地球全体では何百種ものワイルドシルク(野蚕)が生育しているとみられますが、全容はほとんど解明されていません。

 もう少し詳しい話は「野蚕通信」(エキサイトブログ)を手掛かりに関連学会などに足を運んでください。

 

経済成長よりも幸せ度が大事では

 先の新聞コラムに「やはり経済成長は大事だ」が掲載された。最近「経済成長」についてさまざまな意見が出ており関心をもって読んだ。

 例えば「豊かなはずの日本で貧困問題があるのは、20年以上にわたる成長の停滞のせいだ」。または「今の生活が豊かだとしたら、それはまさに経済成長のおかげである」。さらに「お金がなければ社会保障も医療も教育も享受することができない」など、本当に言葉通りに信じてよいものかな~と考えさせられた。

 コラム氏は、経済成長率が下がると失業率が高まるために「貧困」が増えるということらしい。そうかもしれないが「相対的貧困率」とかいうのは少し違っているのではないだろうか。また「今の生活が豊かだ」と感じる人。教養や芸術、娯楽を楽しむためには相応の金銭負担が必要であるが、それは経済成長のおかげであるという。生活の豊かさも「経済成長」あるが故かもしれない。だが「生活が豊かだ」と感じている人に当てはまることでしかないだろう。「お金がなければ」というのは、家計の話ではない。それは国家財政、つまり税収のことであろう。 

 このコラムは「経済成長」を主題にまとめてはいるが、一方で「貧困」や「豊かさ」、「社会保障」などにも触れながら「経済成長」の大事さを強調している。当方はそれらに対抗する専門知識を持っているわけでもないので、庶民の日常生活感覚でメモするだけである。

 感じるのは「経済成長」最優先で自治体や国が政策判断すると兎角問題になっている「貧困と格差」は二の次、三の次そしてずっと後でちょこっと触れるだけになりそうで仕方がない。コラム氏も触れているように「貧困」や「豊かさ」または「社会保障」などを考えるなら、経済成長率の低さを嘆くよりも、現実に大問題となっている「貧困と格差」の問題をどのように改善し、絶対的な”飢餓状況”にある世界の人々を救済できるかを考えるべきではと思う。その点抜きに「経済成長」を語ってほしくない。

 「経済成長」がマイナスやきわめて緩やかであったとしても、「貧困」の改善や「社会保障」の充実は可能だろう。そうした制度を作ることこそがコラム氏のような活躍者や為政者たちの任務だと思う。8人の富豪者と世界の人々の話題を真剣に考えてほしいものである。

自転車走行、車道はなぜいけないのか

 自転車走行に関するきょうのできごとです。

 買い物のために大きなスーパーに自転車で出かけました。地域事情から車1台がやっと通れる道幅を利用するのが便利なところです。この道路は国道から横に入ったいわば抜け道の感じです。ところどころでヒョウタンのくびれのように道幅が狭くなる個所があります。

 たまたまきょうは、そのヒョウタン首を自転車走行中に後ろからくる車にクラクションを鳴らされました。おそらく”車道走行は危ないよ”といったクラクションだろうと思いますが、当方は腹立たしく思い「この野郎!」と声を荒立ててしまった。運転手の年齢・性別は確認できなかったが、車の通る道を自転車走行しては危いよと警告したつもりかもしれない。なぜいけないのか?

 しかし、この道の事情をよく知っている当方にしてみると、ちょっと先の信号のない5差路交差点は、歩行者・自転車・クルマともに慎重確認しながら通行せざるを得ない地点であることを承知しながら走行している。なのにクラクションで警告するとは何事か。車自体が慎重運転してほしいと警告したいほどである。

 また、学校近くの公園脇の道路には通学歩道が設けられている。歩道と言っても側溝にコンクリ板を乗せた程度のものである。たまたまジョギング中にこの歩道を自転車がやってきた。当方は当然ながら藪側に身を寄せて自転車走行を見送った。

 おそらく自転車利用者は、車道走行は危ない感じがするので歩道を優先したのだろうと思う。学校付近だけに狭い通学路の自転車走行をとがめることもできないのが現状ではないだろうか。

 標語「自転車ものれば車のなかまいり」を読みながら、自転車走行の立場を考えている。考えこむと”夜も眠れないくらい”である。

日帰りバス旅行で三浦三崎港へ

 16日は、三浦三崎方面への日帰りバス旅行を楽しんだ。

 川崎大師、横須賀港の軍艦「三笠記念館」、三崎港での昼食と散策、城ケ島公園の散策が行程の楽しみどころ。寒波襲来で冷え込みは非常に厳しいものの天気には恵まれた1日だった。城ケ島では富士山をくっきりとみることができた。またあちらこちらでバスの窓から富士山を眺めることができた。見慣れない海沿いの工場地帯を眺められたなど楽しいバス旅の1日を過ごした。

 なかでも、三浦三崎港では、地元に嫁いでいる中学校時代の同級生に会えたことである。1年ぶりの再会だが郷里の想い出などざっくばらんの話ができた。同級生の案内で土産物を買ったが彼女の一言で高価なマグロをおまけしてもらえた。ほかに彼女からは感謝しきれないほどのお土産までいただいた。ただただ感謝、感謝の再会であった。

 いずれの見学地も初めて見るところであり、もっともっと時間がほしかった気がする思いが強い。バスの旅程もほとんど予定通りであり満足できる日帰りバスの旅であった。

自転車走行は車道か歩道か?

 新聞の投書欄に中学生の『「自転車は車道」のはずなのに」』という意見投稿が掲載されていた。投書は、車道を走行中に後ろからくる車にクラクションで注意されたことから、自治体、行政に理解を求める方法などを提案している。

 パート仕事で自転車走行が比較的多い当方も”はてな”と思うことがままある。最近のこと幹線道をまたぐ陸橋に「自転車ものるときは車のなかまいり」との横断幕が張り出された。ということは自転車走行時は「車」扱いになるので車道を走りなさいーとも受け取れる。どうだろうか。

 ある地域へ行くと、歩道を色分けして自転車と歩行者の通行を分離している例もあるが、そんなにゆとりのある歩道があちらこちらにあるわけではない。また車道に色分けで自転車走行レーンを設けている例もある。さらには車道走行を容認していながら先へ進むと歩道走行を促す表示が出てくる例も見かける。

 ところが、学校近くの片側1車線道を見ると安全のために歩道用柵が設けられている。柵は当然のことだが、車道が狭いうえに自転車はどこを走ってよいものか迷ってしまう。歩道の危険性よりは車道走行を選ぶのだがカーブなどは前後の車が相当気を使っていることがわかる。当然といえば当然である。 

 問題は、自転車走行の基本が道幅を含めた地域事情に任されているような世情にあるような気がする。近年自転車走行に関連する事故が増えていることから関係部署がいろいろ手を尽くしているようである。だが、関係部署も自転車利用者にも現実がよく理解されていないような気がしてならない。

 人は右側・車は左側~~といったような、わかりやすいルールが定着することを願っている。