八重のヤマブキでしょう
近所で朝日に輝いている黄色の花を見つけました。どう見ても木の姿や葉っぱはヤマブキです。子どものころは春先になると沢沿いに咲き誇るヤマブキが見事でした。そんな思いから眺めていましたが、どうも花の勢いが違います。
そうか八重咲のヤマブキだろうと決め込みました。図鑑などを見ながら間違いなさそうと確信しました。ヤマブキといえば故郷の山で見覚えのある一重がすべてだと思っていましたが、実は八重咲きの方が多いんだそうです。またヤマブキはわが国のほか朝鮮半島や中国に生育している程度で欧米にはないようです。
まずはご覧ください。
「沖縄を返せ」から50年余
固き土を破りて
民族の怒りに燃ゆる島 沖縄よ
我らと我らの祖先が血と汗をもて
守り育てた沖縄よ
我らは叫ぶ沖縄よ 我らのものだ沖縄よ
沖縄を返せ 沖縄を返せ
「沖縄を返せ」を歌いながら都心を行進していたのは、いまから57~58年前のこと。ことしは沖縄復帰50周年になるそうだ。心を込めて「沖縄を返せ」を歌っていたころを想い出すと同時にいまの若い人たちの思いも考えさせられた。
沖縄がアメリカの占領から「祖国復帰」を果たしたのは1972年5月15日。ことしが「沖縄復帰50周年」になる。当方は当時、先輩たちと沖縄の現実を学びながら沖縄返還闘争の大衆行動に参加するようになった。行進しながら「沖縄を返せ」を歌い、多くの人たちとの連帯感を覚え、自分自身の行動に確信を深めたことを想い出す。
実際に沖縄がわが国に返還されたのは1972年。そのころ当方は、サラリーマンとして定職を得ていたが、歌を歌っていたころを想いおこしながら「沖縄返還」の実現を歓迎した。
沖縄復帰50周年のいま、世界ではロシアによるウクライナ侵略戦争が起こっている。沖縄では新基地が強行されている。思うのは、戦争に欠かせない基地を抱えている人々の苦悩であり、日々平安に過ごせる平和の確保である。そのためには、戦争のない日常を願いながら基地のない地域を作るしかないと思う。
そこで、いまの沖縄の現実を学校の先生方はどのように考え、教えるかについて苦悩していることを知り、その実態に驚くばかりだった。その事例2つだけ。
一つは、高校の場合「沖縄」をテーマにした授業は年間で2時間のみ。その2時間で沖縄の基地が抱える問題をどれだけ深く考え教え、学ぶことができるだろうかということ。学校教育現場の大問題だと思う。
もう一つは、「中立性」ということ。沖縄の現実や基地問題を考える時は、必ずや基地に関わる事故や事件に触れざるを得ない。そこで登場するのが教育委員会や校長による意見や指示である。つまり「中立性」とか「特定の立場に偏らない」指導教育だそうである。何とも「特定の立場」という曲者である。つまり「基地」について極論だが「賛成」か「反対」は「特定の立場」になってしまうのだろうか。つまり、あれやこれやとの指導があり「沖縄」や「基地問題」は高校の現場では扱わない方がよいということになってしまうらしい。
同じようなことが、ロシアのウクライナ侵略との関連で、北方領土の歴史をどのようにとらえるかが問われることになるだろう。「特定の立場」を避けながら結局は国民の歴史観をも薄めてしまう教育のあり方は真剣に問い詰めなくてはならないと思うのです。
在庫のアベノマスク配送で3・5億円
アベ首相が在任中に新型コロナの感染が広がり市中からマスクが消えてしまった。そこでアベ総理は全国民にマスクを配ることになった有難み確かに当方にも届いたような気がするが「有難味」の記憶が薄い。
後にこの「アベノマスク」が8,000万枚も在庫となってどこかの倉庫に眠っていることが明らかになった。しかもコロナ感染が広がる中である。マスク着用の重要性を訴える中で国民に配布しようとした「マスク」が誰かの判断んでしばらく在庫になってしまった。その保管料がどんどん膨らんでゆくこともわかった。何とも間抜けな輩が給与を受け取っていたものだ。
年度が新たになった4月になってようやく「在庫処分方法」を明らかにしたのだろう。その内容は、実は「マスクの在庫」は不良品など(約730万枚)があったため7,100万枚に改められていた。これを自治体(約9,300万枚配布)、介護施設(約3,230万枚配布)、個人(約2,940万枚)へ配布するらしい。
5月末までに配布を完了するが、希望受付のためのコールセンター費用を含めて配送費用は3億5,000万円に上るそうだ。不良品はどのように扱われるのだろうか。発生経過は明らかにならないだろうか。
この費用すべてが税金で賄われるわけです。国の財政で3億円なんて大したことないと考えている輩の仕事ですから、この「責任」について誰も痛みを感じていないのだろうか。不思議である。
この怒りをどこかで爆発させないと収まらない気分である。